書籍詳細:コルナイ・ヤーノシュ自伝

コルナイ・ヤーノシュ自伝 思索する力を得て

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  • 紙の書籍
定価:税込 5,170円(本体価格 4,700円)
在庫なし
発刊年月
2006.06
旧ISBN
4-535-55473-0
ISBN
978-4-535-55473-3
判型
A5判
ページ数
480ページ
Cコード
C3033
ジャンル

内容紹介

1928年に生まれたハンガリーの経済学者コルナイの自伝。第二次大戦後の社会主義計画経済から現在までのライフヒストリーを語る。

目次

第1章 家族、青年時代(1928年-1944年)

父のこと

家族のこと

ドイツ帝国学校

精神の彷徨

1944年:父の運命

1944年:私の逃亡

第2章 共産主義者になる(1945年-1947年)

共産党への親近度

1944年トラウマへの反動

精神的変革、共産主義者の政治思想の受容

カリスマ的な人々

共同体への帰属

偶然の効果と能力

第3章 「自由な人民」編集局時代(1947年-1955年)

急速な昇進

ヴォランティア精神

編集局の日々

実経済から学んだもの

知的荒廃

倫理的釈明

第4章 覚醒の始まり(1953年-1955年)

「新時代」

監獄から戻った友人たち

啓発的な会話と読書

初めての「命令拒否」

ナジ・イムレの著書

「自由な人民」編集局の反乱

「自由な人民」時代の終焉

第5章 研究生活の始まり(1955-1956年10月23日)――『経済管理の過度集権化』をめぐって

先行事情

精神的衝動

マルクス政治経済学との決別

研究生活の開始

論文の主要な命題

著書への反応

政治的背景

第6章 革命とその帰結(1956年10月23日-1959年)

ナジ・イムレの新プログラム

「マジャールの自由」

虐げられた日々

『経済管理の過度集権化』への批判

研究所からの追放

監獄の影を背負った自由

友情と連帯

第7章 私の大学(1957年-1959年)

自己研鑽

ランゲ-ハイエク論争

軽工業の研究

「一線を画す」

袋小路

人生の決断

第8章 経済学への数学的手法の適用(1957年-1968年)――「二水準計画化」をめぐって

リプターク・タマーシュとの出会い

利潤分配の数学的検証

繊維工業の計画化

二水準計画化

中央計画化の理想モデル

国民経済計画化の出発的原理

コンピュテーション

意味有りや?

数学者との協働

第9章 西側への旅行(1963年-)

先行した出来事

英国ケンブリッジ

ロンドン経済大学

諜報部員の報告から

旅行と外国出版のメモワール

謀略の失敗

第10章 価格に挑む(1967年-1970年)――『反均衡』をめぐって

出版にいたる経緯

著書執筆の動機

類似性への思索

一般理論から期待されるもの、期待されないもの

合理的意思決定者

非価格的シグナル

均衡、買い手市場、売り手市場

政治的視点から解釈した一般均衡理論

科学における改革、革命

最初の反応、長期の影響

書いて良かった?

主観的なコメント

第11章 研究所、大学、アカデミー(1967年-)

 経済科学分野の公的な第一人者

何もなかったかのように

信頼と忍耐

挫折した研究所改革

禁じられた教育活動―それでも教育した

アカデミー会員になった事情

アカデミー会員の特権

第12章 模索と準備(1971年-1976年)――『強いられた成長』と『非価格シグナルによる制御』をめぐって

強いられた成長か、調和的成長か

英国ケンブリッッジへの招聘

腰までギプス-ケインズとハーシュマン

プリンストンでの講義

スタンフォードとワシントン

自律的制御

きしむ適応機械

新しい住居の完成

市場化改革―カルカッタ毛沢東主義者の見解

第13章 全体像の完成(1976年-1980年)――『不足』をめぐって

刺激的な環境

著書のメッセージ

自己検閲

校閲

最初の反応

「不均衡」学派との討論

「ソ連正統派経済学者」との討論

体制腐食化への貢献

出版の政治的・倫理的ディレンマ再論

第14章 突 破(1979年)――「予算制約のソフト化」をめぐって

概念の意味と意義

先行事情

経験による証明

現象の数学モデル化

最初の総括論文のこと

そして、出来事の教訓

第15章 友情溢れる批評と距離を置く批判(1968年-1989年)――「ハンガリーの改革プロセス:展望・希望・現実」をめぐって

半ば実現し、半ば消滅した希望

ナイーヴな改革者から批判的分析家へ

「何を為すべきかを言う代わりに」

効率性と社会主義倫理

所有権の重要性

ランゲ・モデルとハンガリー改革の現実

回り道:もうひとつのハンガリーの現実

今から回顧してみれば

第16章 ハーヴァード(1984年-2002年)

プリンストン高等研究所

ハーヴァード大学教授招聘事情

ケンブリッジへの引っ越し

講義の喜びと難しさ

多様性と寛容

倫理的厳格さ

第17章 ハンガリーの内と外(1985年-)

ハンガリーに繋げるもの

日常生活の比較:ケンブリッジとブダペスト

世界文化のひとつの中心

友人たち

ヨーロッパと世界の経済学者の共同体

中国への旅行

どこが我が家

第18章 統合(1988年-1993年)――『社会主義システム』をめぐって

著書執筆の経緯

総括を意図する

実証分析と諸価値

一般理論

遅すぎた? それとも、早すぎた?

東と西からの評価

そして、右と左からの批判

ある不快なエピソード

第19章 運命の転換(1989年-1992年)――『感情的ビラ』をめぐって

予測の限界

決断

『感情的ビラ』出版の経緯

最初の反応

スィミュレーションはもう沢山だった

民間セクターの健全な発展のために

公的資金に対する責任

安定化のための手術

収支バランス

第20章 学問と政治の境界領域(1990年-)――模索、苦悩と希望、健全な改革をめぐって

ハンガリーのマクロ経済政策に対する見解

医療改革について

「質問に来るか、君の意見を聞くか?」

実際の効果

金融政策決定への参加

他国の体制転換

第21章 ただ持続あるのみ(1990年-)――体制転換の意味するもの、意味しないもの

体制転換の解釈

期待と失望、悲観主義と楽観主義

コレギウム・ブダペスト

人生のインターメゾ:70歳の誕生日

ハーヴァード大学:講義と別離

我が家のオフィス

「何をしている?」