日本評論社 沿革

日本評論社は、1918年(大正7年)末に創業されました。創業当初の文藝を中心とする出版から、昭和の初め(1927年)にかけて、社会問題・社会科学の分野の比重を高めていきます。これは社会状況を反映してのことと申せましょう。

1938年(昭和13年)から1943年(昭和18年)にかけての河合栄治郎事件、1942年(昭和17年)から1945年(昭和20年)にかけての横浜事件と、戦前を代表する二つの言論弾圧事件の試練に見まわれました。そんな経緯もあって、当社は屈指の〈硬派〉出版社と目されてまいりました。

当社の特徴は、いくつもの雑誌を核に形成された、情報ネットワークです。1929年〈昭和4年〉末弘厳太郎博士により創刊された『法律時報』、1960年(昭和35年)前後に相次いで創刊され、学術教養誌ともいうべき新ジャンルを創設した『法学セミナー』『経済セミナー』『数学セミナー』、また、現代人の〈からだ〉と〈こころ〉の不安に真摯にこたえる『こころの科学』は、高い評価を得ています。これらの雑誌との縁によって、当社の図書目録は魅力あふれる執筆者で飾られています。